心を耕せ

「良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

(マタイの福音書 13:23)

イエスが種まきのたとえ話をされた。「見よ。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いていると、種がいくつか道端に落ちた。すると鳥が来て食べてしまった。また、別の種は土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。また、別の種は茨の間に落ちたが、茨が伸びてふさいでしまった。また、別の種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍になった。」(マタイの福音書 13:3-8)

そしてイエスはこのたとえ話の解説をされた。

「だれでも御国のことばを聞いて悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪います。道端に蒔かれたものとは、このような人のことです。また岩地に蒔かれたものとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし自分の中に根がなく、しばらく続くだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。茨の中に蒔かれたものとは、みことばを聞くが、この世の思い煩いと富の誘惑がみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」(マタイの福音書 13:19-23)

この4人のうち、私たちが当てはまるのは、どのタイプの人だろうか?

この話から得た教訓は以下三つある。⑴神の言葉を聞いて悟ること。⑵みことばのために困難や迫害が起きてもつまずかないこと。⑶この世の思い煩いと富の誘惑によってみことばをふさぐことがないようにすることである。

神の言葉を悟るとは、聞いて理解するだけではなく、実行することだ。良い地でなければ実を結ぶことができないように、心が良く耕されていなければ神の言葉を悟ることはできない。神の言葉を一つ実行するために、神の言葉によって自分の心を耕していきたい。

愛する天のお父様、あなたの言葉は生きていて力があります。あなたを信頼します。主イエスキリストの名によって、アーメン。