慎重になり過ぎてない?
「ギデオンは神に言った、「わたしをお怒りにならないように願います。わたしにもう一度だけ言わせてください。どうぞ、もう一度だけ羊の毛をもってためさせてください。どうぞ、羊の毛だけをかわかして、地にはことごとく露があるようにしてください」。 神はその夜、そうされた。すなわち羊の毛だけかわいて、地にはすべて露があった。」(士師記 6:39-40)
イスラエルの人々はまた主の前に悪をおこなったので、主は彼らを七年の間ミデアンびとの手にわたされた。
イスラエルの人々はミデアンびとのゆえに、山にある岩屋と、ほら穴と要害とを自分たちのために造った。 イスラエルびとが種をまいた時には、いつもミデアンびと、アマレクびとおよび東方の民が上ってきてイスラエルびとを襲い、 イスラエルびとに向かって陣を取り、地の産物を荒してガザの附近にまで及び、イスラエルのうちに命をつなぐべき物を残さず、羊も牛もろばも残さなかった。 彼らが家畜と天幕を携えて、いなごのように多く上ってきたからである。すなわち彼らとそのらくだは無数であって、彼らは国を荒すためにはいってきたのであった。
こうしてイスラエルはミデアンびとのために非常に衰え、イスラエルの人々は主に呼ばわった。(士師記 6:1-6)
ギデオンは主の使いに言った、「ああ、君よ、主がわたしたちと共におられるならば、どうしてこれらの事がわたしたちに臨んだのでしょう。わたしたちの先祖が『主はわれわれをエジプトから導き上られたではないか』といって、わたしたちに告げたそのすべての不思議なみわざはどこにありますか。今、主はわたしたちを捨てて、ミデアンびとの手にわたされました」。
主はふり向いて彼に言われた、「あなたはこのあなたの力をもって行って、ミデアンびとの手からイスラエルを救い出しなさい。わたしがあなたをつかわすのではありませんか」。
ギデオンはまた主に言った、「わたしがもしあなたの前に恵みを得ていますならば、どうぞ、わたしと語るのがあなたであるというしるしを見せてください。」。ギデオンは肉と種入れぬパンをとって岩の上に置き、それにあつものを注ぐと、岩から火が燃えあがって、肉と種入れぬパンとを焼きつくした。
ギデオンはまた神に言った、「あなたがかつて言われたように、わたしの手によってイスラエルを救おうとされるならば、 わたしは羊の毛一頭分を打ち場に置きますから、露がその羊の毛の上にだけあって、地がすべてかわいているようにしてください。これによってわたしは、あなたがかつて言われたように、わたしの手によってイスラエルをお救いになることを知るでしょう」。 すなわちそのようになった。彼が翌朝早く起きて、羊の毛をかき寄せ、その毛から露を絞ると、鉢に満ちるほどの水が出た。
ギデオンはさらに神に言った、「わたしをお怒りにならないように願います。わたしにもう一度だけ言わせてください。どうぞ、もう一度だけ羊の毛をもってためさせてください。どうぞ、羊の毛だけをかわかして、地にはことごとく露があるようにしてください」。」神はその夜、そうされた。すなわち羊の毛だけかわいて、地にはすべて露があった。」(士師記 6:11-39)
ギデオンはあまりにも慎重だったからか、主に三度もしるしを見せて欲しいと願い、主はその通りにされた。
私たちも神の命令に対して慎重になることはないか?何かしらのしるしを求めるかも知れない。神が応えてくれる限りはそれで良い。しかし私たちが慎重になり過ぎて動けなくなるのは良くない。しるしを見なくても信じる者になりたい。
愛する天のお父様、あなたに命じられたら、直ぐに信じる者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。