聖なる山、神の都

「主は大いなる方。大いにほめたたえられるべき方。
主の聖なる山、私たちの神の都で。高嶺の麗しさは全地の喜び。北の端なるシオンの山は大王の都。」(詩篇 48:1,2)

私たちの主は大いなる方、大いにほめたたえられるべき方だ。目に見えないことで、主の偉大さを矮小化したり、過小評価してしまう自分がいる。

主の聖なる山、私たちの神の都とは、エルサレム市街地やシオンの山のように、肉眼で見る物体としての山や都というよりも、神がおられる御国とその聖さと偉大さを指すのだろう。

主のなさったこと、なされることは実に麗しく、神の計画は全地の人々に喜びをもたらす。私たちの心を真に喜ばせるものは、神ご自身だ。

エルサレムの北の端に位置するシオンの山は、実際に行ってみると、高くそびえる荘厳の山というよりも、小高い丘である。しかしシオンの山は、見た目は大した場所ではなかったとしても、聖書的にはとても重要な意味を持つ場所である。

そのシオン山はかつてモリヤ山と呼ばれ、主がアブラハムに息子イサクを全焼のささげ物として献げよ、と命じた場所である。アブラハムは、イサクの代わりに与えられた藪に角を引っかけていた一匹の雄羊を取り、全焼のささげ物として献げた。アブラハムは、その場所の名をアドナイ・イルエと呼び、今日も、「主の山には備えがある」と言われている。(創世記 22)

またシオンの山はダビデがオルナンから金六百シェケルで買った打ち場の地所で、そこに主のために祭壇を建て、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ、主が天から火を下し、答えられた場所であり(1歴代誌21)、さらにそこにはソロモンが神殿を建てた(2歴代誌3)場所であった。

シオンの山は聖書の主要人物たちが礼拝をささげた大王の都であった。今日私たちはエルサレムまで行かなくても、私たちの心に住まわれる偉大な神に礼拝をささげることができる。

愛する天のお父様、あなたは偉大なお方、大いなる力と愛を持って私たちの人生を導いてくださいます。あなたを礼拝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。