落ちぶれた兄弟


「あなたの兄弟が落ちぶれ、暮して行けない時は、彼を助け、寄留者または旅びとのようにして、あなたと共に生きながらえさせなければならない。 彼から利子も利息も取ってはならない。あなたの神を恐れ、あなたの兄弟をあなたと共に生きながらえさせなければならない。 あなたは利子を取って彼に金を貸してはならない。また利益をえるために食物を貸してはならない。 わたしはあなたがたの神、主であって、カナンの地をあなたがたに与え、かつあなたがたの神となるためにあなたがたをエジプトの国から導き出した者である。」(レビ記‬ ‭25‬:‭35‬-‭38‬)

私たちの兄弟が落ちぶれ、地位や財産を失い、暮らしていけないとき、私たちはその人を助けることが自然に出来たら素晴らしい。

現在、ある地方自治体では、地域包括ケアシステムが効果的に機能するために「4つの助(自助・互助・共助・公助)」という考え方に基づいて支援しようとしているようだ。

自助は、自分で自分を助けること。自分の力で住み慣れた地域で暮らすために、市場サービスを自ら購入したり、自らの健康に注意を払い介護予防活動に取り組んだり、健康維持のために検診を受けたり、病気のおそれがある際には受診を行うといった自発的に自身の生活課題を解決する力を指す。

互助は、家族・友人・クラブ活動仲間など、個人的な関係性を持つ人間同士が助け合い、それぞれが抱える生活課題をお互いが解決し合う力である。これは費用負担が制度的に裏付けられていない自発的な支え合いであり、親しいお茶飲み仲間づくりや住民同士のちょっとした助け合い、自治会など地縁組織の活動、ボランティアグループによる生活支援、NPO等による有償ボランティアなど、教会のボランティアなどが含まれる。

共助は、制度化された相互扶助のことで、医療、年金、介護保険、社会保険制度など被保険者による相互の負担で成り立つというもの。

そして公助。これは自助・互助・共助では対応出来ないこと(困窮等)に対して最終的に必要な生活保障を行う社会福祉制度。公による負担(税による負担)で成り立ち、区が実施する高齢者福祉事業の外、生活困窮に対する生活保護、人権擁護、虐待対策などが該当する。

私たちの兄弟が落ちぶれてしまうと、先ず自助は無理だ。互助がある程度モノを言う。力のある人が救いの手を差し伸べることで落ちぶれた者は救われる。当然ながら、保険や社会福祉制度に頼ることも大切だ。

イスラエルの民が落ちぶれた人に親切にする理由は、

「わたしはあなたがたの神、主であって、カナンの地をあなたがたに与え、かつあなたがたの神となるためにあなたがたをエジプトの国から導き出した者である」という理由だった。イスラエルの民はかつて奴隷として落ちぶれていた。その状態から主が彼らを救い出されたのであるから、彼らもお互いに搾取するのではなく、助けるように命じられたのであった。

私たちも神によって救われた。だから自分の兄弟に対しても、同じく救われることが出来るように、また助けを受けられるように仕えることが大切だ。

愛する天のお父様、あなたは私たちの救い主です。あなたは罪によって滅び行く私たちを救い、助けてくださいました。落ちぶれた兄弟や姉妹に対してあなたが救い主の御手を差し伸べてくださいます。ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。