困難の中に神様の目的を見る

聖句:

“そこで、彼らはヨセフに言い送った。「あなたの父は死ぬ前に命じられました。

『ヨセフにこう言いなさい。おまえの兄弟たちは、実に、おまえに悪いことをしたが、兄弟たちの背きと罪を赦してやりなさい、と。』今、どうか、父の神のしもべたちの背きを赦してください。」ヨセフは彼らのこのことばを聞いて泣いた。

彼の兄弟たちも来て、彼の前にひれ伏して言った。「ご覧ください。私たちはあなたの奴隷です。」

ヨセフは言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりになることができるでしょうか。

あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。

ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたも、あなたがたの子どもたちも養いましょう。」このように、ヨセフは彼らを安心させ、優しく語りかけた。”

創世記 50章16~21節

観察:

              人生には不幸なことが起こることがあります。しかし、その不幸な出来事が、自分の家族のメンバーから悪意を持って意図的にもたらされた場合は特に厄介です。 家庭内の不和や、互いを傷つけるような行為が行われたりします。 ヨセフの人生は、兄弟たちの手によって狂ってしまいます。 あなたが、特に自分の家族から疎まれ虐待を受けたとしたらどうしますか?

              はじめヨセフは、自分が経験していることが神様の計画の一部であることをわかりませんでした。 兄たちは邪悪な計画を企てましたが、ヨセフを育てるため神様はその計画を許しました。 私たちの人生で起こっていたことは、私たちが今いるところにたどり着くための神様のご計画の一部です。 残念ながら、中には辛すぎて、どうしてそれが神様の目的の一部なのか理解することが困難なものもあります。しかし、最後にはそれが神様のご計画や目的であるとわかるようになる時がきます。 ヨセフの兄弟たちにも教訓が与えられました。 彼らは結果、弟の前にひざまずことになりました。 彼らは、自分たちの過去の邪悪な行いのために、ヨセフが彼らに対して復讐心を持って仕返してくるのではないかと恐れながら、ヨセフのもとにやって来ました。.  

              しかし、ヨセフは、自分の辛い経験には神様が関与されていることに気づきました。 主の御手がヨセフの一コマ一コマの上におかれていたのです。 ヨセフは兄たちが自分にした悪事に悪をもって返すこともできたでしょう。 しかし、彼は神様の計画と目的の視点からから状況を見ることを選びました。 しかし、ヨセフは兄たちにこう言いました、「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりになることができるでしょうか。あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」これは、非常に重要なポイントです。 神様は、あなたに対する人の悪意についてコントロールすることはできませんが、私の人生における神様の目的を果たすために、その人の悪意をあえて使われます。

              私は、自分の辛い経験の中に神様の目的とみこころを見出したヨセフの心が大好きです。 同じように私も、自分が経験したことの痛みを切り離して、その経験を用いてより大きな善のために私を備えようとする神様の目的をはっきりと見れるように学ばなければなりません。 私は、どんなに困難な状況でも、その中に善を見出すよう努力しなければなりません。 

適用:  

              私はよく、他人の自分に対する意図や行動の中にある悪やそこから生み出される痛みだけを見てしまいます。 それを神様の目的や大いなる善のための計画の一部として見られないことがいかに多いことか。 今日も、自分が直面していることに対して、神様からの視点を学んでいきたいと思います。 なぜ私が人生でこれほど辛い状況を通らされなければならないのか、神様の視点から見ていきたいと思います。 私は人生でどんなことに直面しても、神様の計画と目的にコミットしていきます。

祈り:

              イエスさま、人からのすべての不当な扱いが私を滅ぼすためにあるのではないことを見ることができるようになるための目を開いてください。 悪魔が何を計画しても、あなたの計画はそれよりはるかにより大きく、あなたの目的は命とより大きな善のためであることを感謝します。 私が人生で直面する困難を乗り越えられるよう、私を導いてください。 周りが真っ暗であっても、あなたの目的を見ることができるよう導いてください。 私はあなたに最後まで従っていくため、改めてあなたに服していきたいと思います。 イエスさま、私にはあなたが必要なのです。