限界点に達したら
「リベカはイサクに言った、「わたしはヘテびとの娘どものことで、生きているのがいやになりました。もしヤコブがこの地の、あの娘どものようなヘテびとの娘を妻にめとるなら、わたしは生きていて、何になりましょう」。」(創世記 27:46)
リベカにはエサウとヤコブという子どもたちがいた。リベカは毛深く、野で狩をするエサウではなく、内向的で打算的な大人しいヤコブを可愛がっていた。
ヤコブがエサウを騙して激昂させた一件以来、リベカはヤコブの身を案じ、またエサウがヘテ人の嫁たちを妻に娶り(創世記 26:34)、もう生きているのが嫌になるくらい彼女たちを嫌っていたことを夫イサクに吐露した。ヘテ人の娘のどこが悪いのか私たちにはわからないが、自ら溺愛するヤコブがヘテ人の娘を妻に娶るのなら、それこそ耐え難いことであった。
イサクはリベカの言葉を聞き入れ、ヤコブをリベカの故郷に送った。
血を分けた身内ならともかく、婚姻関係で耐えられない思いになったとき、私たちはどうしたら良いのだろうか?
人間的に耐えられない苦痛を感じる時、私たちは人間の自然的な反応で返すこともできるが、神を信頼してひたすらじっくりと神が動かれるのを待つこともできる。
私なら、やはり後者を選びたい。前者は一時凌ぎになるが問題解決せず、後者は一時的に苦痛を感じても神の絶対的な導きに身を委ねることができるからだ。
愛する天のお父様、あなたを信頼し続ける忍耐力をお与えください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。