主が告げられることばのとおりに

彼らはエレミヤに言った。「主が、私たちの間で真実で確かな証人であられますように。私たちは必ず、あなたの神、主が私たちのためにあなたを遣わして告げられることばのとおりに、すべて行います。それが良くても悪くても、私たちは、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちの神、主の御声に聞き従って幸せを得るためです。」(エレミヤ書 42:5-6)

私たちは様々な理由をもって主に祈る。主が救ってくださったことへの感謝だったり、主の助けを必要として懇願の祈りを捧げたり、心の辛さや苦しさをわかって欲しくて共感を求めて祈ったりする。主の御心を求める祈りは、素晴らしいものである。

主の御心を求める時に、主から認められる場合と、認められない場合と、待つように言われる場合がある。主が良しとされるなら安心だが、良しとされない場合は私たちは考え直さなければならない。また沈黙である場合は、タイミングの問題なのか、あるいは主が何も明かされない事実を突きつけられているのかもしれない。

さてバビロン捕囚の後にエルサレムに残った人々は、エレミヤのところに来て、主が彼を遣わして告げることばの通りに、すべてを行うと申し出た。自分たちの要望や感情的な思いも一旦おいて、主を第一にして、主の主権に従うという態度を表したのである。

この態度こそ私たちが見習うべきものである。「それが良くても悪くても、私たちは、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちの神、主の御声に聞き従って幸せを得るためです。」と主の前に言えるだろうか?

私たちの人生を主にお預けにする時、私たちは自分の欲や要望を一旦心に留めて、主の導きに任せ、主の言われたことに聞き従うことができるか問われている。それが私たちにとって良くても悪くても、主に聞き従う姿勢をもって祈る者でありたい。

愛する天のお父様、あなたが私たちに語られることにおいて、あなたに従うことができますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。