森の木立の間のぶどうの木
それゆえ、神である主はこう言われる。「わたしが薪として火に投げ入れた、森の木立の間のぶどうの木のように、わたしはエルサレムの住民を火に投げ入れる。わたしは彼らに敵対して顔を向ける。彼らが火から逃れても、火は彼らを焼き尽くす。わたしが彼らに顔を向けるそのとき、あなたがたはわたしが主であることを知る。(エゼキエル書 15:6-7)
主なる神はイスラエルの民に言われた。「人の子よ。ぶどうの木は森の木立の中にあって、ほかの木より枝がどれだけすぐれているのか。何か役に立つものを作る木材が、そこからとれるというのか。それとも、何かの器具を掛ける木鉤を作ることができるというのか。」(エゼキエル書 15:2-3)
主なる神はイスラエルの民の状態を森の木立の間のぶどうの木にたとえられた。森の木立の間のぶどうの木は、役に立たないものの比喩として使われている。ぶどうの木からは、ぶどうという最高の果物を実らせるが、木材としては使い道がない。
主はさらに言われた。「見よ。それは薪として火に投げ入れられ、火がその両端を焼き尽くす。その中まで焦げてしまえば、それは何の役に立つだろうか。見よ。それが完全なときでも何も作れないのに、まして、火がそれを燃やして焦がせば、それで何が作れるだろうか。」(エゼキエル書 15:4-5)
イスラエルが神に従わない状態を役に立たない状態に準えた。薪として最後は役に立っても、それ以上役に立つことはほとんどない。
主は「わたしは彼らに敵対して顔を向ける。彼らが火から逃れても、火は彼らを焼き尽くす。わたしが彼らに顔を向けるそのとき、あなたがたはわたしが主であることを知る。彼らがわたしの信頼を裏切ったので、わたしはこの地を荒れ果てさせる──神である主のことば。」 (エゼキエル書 15:7-8)
さて炭となった状態から、僅かに役立つ方法がある。それは火を強め、火力を維持して炒めたり焼いたりするあめに炭火となる方法だ。あるいは、炭には多孔質な性質を活かした室内や靴箱などの脱臭、調湿、水質浄化や土壌改良に役立つ。炭は環境改善や生活用品としても使えるのだ。
私たちは火が入るまで大いに役立ちたいと考えるだろう。しかし火が入った後にも木には使い道がある。私たちの人生に火が入って絶望視してはならない。火によって鍛錬された後にも、主のために大いに役立つことは可能なのである。
愛する天のお父様、私たちがあなたに従わず、火の中を歩まされ、辛い鍛錬を通らされても、あなたは私たちを別の場所で用いてくださる方です。あなたに信頼します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
