良いいちじく
「イスラエルの神、主はこう言う。わたしは、この場所からカルデア人の地に送ったユダの捕囚の民を、この良いいちじくのように、良いものであると見なそう。わたしは、彼らを幸せにしようと彼らに目をかける。彼らをこの地に帰らせ、建て直して、壊すことなく、植えて、引き抜くことはない。わたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心のすべてをもってわたしに立ち返るからである。(エレミヤ書 24:5-7)
バビロンの王ネブカドネツァルが、ユダの王、エホヤキムの子エコンヤと、ユダの高官たち、職人、鍛冶をエルサレムから捕らえ移してバビロンに連れて行った後のこと、主は私にこのように示された。
主の神殿の前に二かごのいちじくが置かれていた。一つのかごにあるのは非常に良いいちじくで、初なりのいちじくの実のようであり、もう一つのかごにあるのは非常に悪いいちじくで、悪くて食べられないものであった。
そのとき、主が私に、「エレミヤ、あなたは何を見ているのか」と言われたので、私は言った。「いちじくです。良いいちじくは非常に良く、悪いほうは非常に悪く、悪くて食べられないものです。」(エレミヤ書 24:1-3)
主なる神は、ユダの捕囚の民を、良いいちじくのように良いものであると見なした。だから主は彼らを幸せにしようと彼らに目をかけ、彼らをユダの地に帰らせ、建て直して、壊すことなく、植えて、引き抜くことはないと言われたのである。
主がユダを愛している様子がわかる。だからこそ主は彼らにこのように言われた。「わたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。」これはユダの民にとっては非常に大きいことである。
私たちの内に主を知る心、主を知ろうとする心がなければ、相当なことが無い限りは主を知ることはない。事実ユダの民は、主が放っておくことはできない偶像礼拝のような相当なことをしたために、主はご自身が主であることを知らしめようと彼らに近づき、働きかけた。
ユダの民に対して主はこのように言われた。「わたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心のすべてをもってわたしに立ち返るからである。」
しかし、悪くて食べられないあの悪いいちじくのように──まことに主は言われる──わたしはユダの王ゼデキヤと、その高官たち、エルサレムの残りの者と、この地に残されている者、およびエジプトの地に住んでいる者を、このようにする。わたしは彼らを、地のすべての王国にとって、おののきのもと、悪しきものとする。また、わたしが追い散らす、すべての場所で、そしりと嘲りの的、物笑いの種、ののしりの的とする。わたしは彼らのうちに、剣と飢饉と疫病を送り、彼らとその先祖に与えた地から彼らを滅ぼし尽くす。」(エレミヤ書 24:8-10)
主はユダの民の中でも良いいちじくと悪いいちじくをはっきり分けられた。その違いは主に従ったかどうかである。主の民とされたことを感謝し、主に従う者として歩みたい。
愛する天のお父様、あなたに良い者として選ばれて、あなたに目をかけてもらい、あなたを知る心を与えてくださり、感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
