主、聖なる者、イスラエルの創造者、私たちの王

わたしは主、あなたがたの聖なる者、イスラエルの創造者、あなたがたの王である。 (イザヤ書 43:15)

主なる神がイスラエルの民に言われたのは、神が主であるということだ。神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエルの子らに、こう言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、あなたがたのところに私を遣わされた』と。これが永遠にわたしの名である。これが代々にわたり、わたしの呼び名である。(出エジプト記 3:15) 主とは、聖書の神の呼び名であり、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神のことである。

主は聖なる者である。主は言われた。「わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別して、聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。」(レビ記 11:44) 聖なるものとは区別される者という意味がある。神は他のものと区別され、唯一無二の存在として慕い求め、あがめられるべき存在である。主なる神は聖なる方であり、私たちにも聖なる者となるように命じられている。具体的には神のみを礼拝し、神にすべてを委ねて歩むということだ。

私たちの神はイスラエルの創造者である。主はこの天地を創造された(創世記1章)。また主はイスラエルを選び、イスラエルと契約を結び、イスラエルを祝福した。このイスラエルには信仰によって神の民となった者も含まれる。ユダヤ人への祝福は続き、また主を信じる者たちへの祝福は計り知れない。

私たちの主なる神は王である。かつてイスラエルは神ではなく人間の王を求めた。その時「主はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。」(1サムエル8:7)私たちの主は王である。

また、イエスがエルサレムに入場された時に、弟子たちは「ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。」(7節)。すると、群集のうち大ぜいの者が、自分たちのの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。そして、群集は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」(8,9節)それは、「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王があなたのところに来られる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』(5節)という預言(ゼカリヤ9:9)があったからである。

愛する天のお父様、あなたは主です。あなたは私たちの聖なる者、イスラエルの創造者、私たちの王です。あなたに仕えます。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。