主がわざわいだと呼ぶもの
わざわいだ。不法を謀り、寝床の上で悪を行う者。朝の光とともに、彼らはこれを実行する。自分たちの手に力があるからだ。彼らは畑を欲しがって、これをかすめ、
家々を取り上げる。彼らは人とその持ち家を、人とその相続地をゆすり取る。 それゆえ、主はこう言われる。「見よ。わたしはこういう氏族に、わざわいを下そうと考えている。そこからあなたがたは頭をもたげることもできず、胸を張って歩くこともできなくなる。それは、わざわいの時だからだ。」(ミカ書 2:1-3)
不法を謀り、寝床の上で悪を行う者は災いである。つまり法令や規則に反することを行うのだから、法で罰せられたり、社会的に敬遠されてしまう。
また寝床の上で悪を行うとは、計画的犯行を指す。朝の光とともに、彼らは悪事を実行するとは、たまたま悪事を行うのとは話が違い、悪意が強いことを意味する。そうなると量刑も重い。
自分たちの手に力があるとは、権力に胡座をかいて悪事を行う人々である。彼らは畑を欲しがって、これをかすめ、家々を取り上げる。彼らは人とその持ち家を、人とその相続地をゆすり取る。貪欲な人が奪い取るイメージだ。
主はこう言われる。「見よ。わたしはこういう氏族に、わざわいを下そうと考えている。そこからあなたがたは頭をもたげることもできず、胸を張って歩くこともできなくなる。それは、わざわいの時だからだ。」
わざわいに対して私たちができることは何か?悪事を企てるのではなく、主の栄光を表すことを考えることだ。東から西に行くような距離感かもしれない。そこは私たちの主が、聖霊が助けてくださる。
愛する天のお父様、今日私が口にする言葉、行いだけではなく、私の思考さえもあなたに栄光があるものでありますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
