よく教え、よく導く

主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍耐し、反対する人たちを柔和に教え導きなさい。神は、彼らに悔い改めの心を与えて、真理を悟らせてくださるかもしれません。悪魔に捕らえられて思いのままにされている人々でも、目を覚まして、その罠を逃れるかもしれません。(テモテへの手紙 第二 2:24-26)

よく教え、よく導くにあたって、一筋縄でいかない場合がある。自分の思いと相手の思いが強いと争いを引き起こす。争いは双方が攻撃し合う場合と、片方が攻撃し、もう片方が守りに入る場合がある。平和を求めるのがキリスト者の姿勢である。

たとえ私たちに反対する人であっても、私たちは彼らに対して優しくし、よく教え、よく忍耐し、柔和に教え導くという使命を持つ。

それは、神が反対者たちに悔い改めの心を与えて、真理を悟らせてくださるかもしれないし、また悪魔に捕らえられて思いのままにされている人々でも、目を覚まして、その罠を逃れさせてくださるかもしれないからだ。

人々を悔い改めに導くのは、言い争いではなく、私たちの優しさである。「神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導く」(ローマ人への手紙 2:4)とある。

優しさはどちらかというと受動的であり能動的あるいは積極的ではない側面がある。だから教え導く時も押し付けるような感じではなく、助言や提案であったり、相手に合わせる形が強い。

教えるというと、自分の知識やノウハウを相手に教えるイメージがある。例えば「先生が生徒に授業を実施する」といったように知識・経験が豊富な人が講師となって指導するものだ。指導者が答えを教えるのがティーチングの大きな特徴で、一方的なコミュニケーションスタイルで、大勢の人が集まる場にて講義形式で実施されることが多い傾向にある。

教えることの手法にコーチングというものがある。これは受講者が自らの力で答えを導く。1on1の対話形式でコーチする人が多角的に質問をして誘導する。

時に優しく時に厳しくしてよく教え、反対する人たちを柔和に教え導くには忍耐が欠かせない。自分自身の学びのためにも忍耐は欠かせない。

愛する天のお父様、どうか私たちの内に忍耐をお与えください。あなたには私たちの知らない素晴らしいご計画があります。あなたに委ねます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。