人を汚すもの
「しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。 というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、 これらのものが人を汚すのである。しかし、洗わない手で食事することは、人を汚すのではない」。」(マタイによる福音書 15:18-20)
人を汚すものとは何か?
モーセの律法が禁じていた「洗わない手で食事すること」ではないとイエスは明確に言われた。衛生面から言うならば、食事の前に手を洗う事は私たちが病気にならないために大切なことである。しかし旧約聖書のモーセの律法ではイスラエルの民に食事の前に手を洗うことを要求し、そうしなかった場合は、汚れていると判断されそのための社会的措置が課せられた。手を洗う事は必ずしも衛生的措置と言うよりは宗教的措置であった。
イエスが明らかにされた汚れとは必ずしも律法遵守しなかったことではなく、私たちの心の中から出ているものであることを明確にされた。私たちの心の中から出てくる汚れとは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りなどである。つまり私たちの罪が私たちを汚すのである。
神の前に汚れは清められなければならない。それは食事の前に手を洗うことではなく、私たちの心の汚れを取り除くことである。ではその心の中から出てくる汚れをどのように取り除いたら良いのだろうか?
それはイエス・キリストの十字架による罪の贖いと清めを私たちが心で信じ心の中に受け入れることである。天皇3国に入るにはこの汚れを清めなければならない。
私たちの心の汚れを主イエス・キリストの父によってきれいに洗い流していただこう。
愛する天のお父様、あなたは御子イエス・キリストの十字架の血潮によって、私たちの罪を全て赦され、心の汚れはきよめてくださいました。私を神の子どもとしてくださり、天国に入れてくださったことを心から感謝いたします。イエス・キリストの御名によって、アーメン。
