きよい心と揺るがない霊
「神よ私にきよい心を造り、揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。私をあなたの御前から投げ捨てず、あなたの聖なる御霊を私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを私に戻し、仕えることを喜ぶ霊で私を支えてください。」(詩篇 51:10-12)
イスラエルが戦争していた頃、ダビデ王はエルサレムの宮殿にいた。多くの兵士が国のために戦っている中で、ダビデは戦争の現実から少し遠い所にいた。緊張感の緩んだダビデは宮殿を散歩中にバテシェバという女性がお風呂に入っているのを目にした。その女性のことで頭がいっぱいになったダビデは、自分の立場を利用して、この女性を自分の部屋に召し入れ、と姦淫の罪を犯した。その結果バテシェバはダビデの子どもを孕んだのであった。
この事実を隠そうとしたダビデは、急遽バテシェバの夫のウリヤを戦場から呼び戻し、妻との時間を楽しむように命じる。仲間たちが命をかけて戦っているので、自分だけそんなことはできないと考え、妻と時間を過ごすことを拒む。
この画策に失敗したダビデは、最後の手段である、ウリヤ殺害を実行する。そしてそのことすべてをご存じであった主なる神は、ナタンと預言者をダビデのもとに遣わし、ダビデの罪を指摘した。
それに対してダビデは主の前に悔い改め、主の霊によって助けが必要だと訴えている。「神よ私にきよい心を造り、揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。私をあなたの御前から投げ捨てず、あなたの聖なる御霊を私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを私に戻し、仕えることを喜ぶ霊で私を支えてください。」
私たちは自分の意志だけで罪から離れて生きることはできない。私たちには罪の性質がそなわっているからである。だから私たちは、罪から離れるために、神にきよい心を造っていただけ、揺るがない霊によって支えられていきるしかないのである。
緊張から解かれ、心に少しの隙間ができた瞬間が危ない。身を引き締めるためには、私たちは遜って主の前に進み、主に祈り、主と時間を過ごすことを選ぶ必要がある。
今日も主と共に時間を過ごし、主の前に遜って歩んでいきたい。
愛する天のお父様、あなたの前に遜ります。揺るがない霊で私を支えてください。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。
