神の恵みを無駄に受けない

私たちは神とともに働く者として、あなたがたに勧めます。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。(コリント人への手紙 第二 6:1)

神の恵みを無駄に受けないとはどういうことか?神のあふれるばかりの恵み、驚くばかりの恵みを受けるのは素晴らしいことではないか?

パウロはこのように説明している。神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。」私たちは神の恵みの時に生きていることは確かだ。

「私たちは、この務めがそしられないように、どんなことにおいても決してつまずきを与えず、むしろ、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しています。」神の恵みがあるからこそ、つまずきを与えるようなことがあれば、それは神の恵みを無駄にすることになる、という文脈だ。

「すなわち、苦難にも苦悩にも困難にも、むち打ちにも入獄にも騒乱にも、疲れ果てた時も眠れない時も食べられない時も、大いなる忍耐を働かせて、また、純潔と知識、寛容と親切、聖霊と偽りのない愛、真理のことばと神の力により、また左右の手にある義の武器によって、また、ほめられたりそしられたり、悪評を受けたり好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。」(コリント人への手紙 第二 6:4-8)

これらはパウロが神の恵みを無駄にしないための努力だったのだろう。

さらにパウロは続けた。「私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られていないようでも、よく知られており、死にかけているようでも、見よ、生きており、懲らしめられているようでも、殺されておらず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。(コリント人への手紙 第二 6:8-10) 私たちには恵みがあふれている。すべてのものを私たちは持っているのだから、私たちはそれらを無駄にすることなく、十分に用いて神に仕えるようにと勧めているのだろう。

私たちは神からすべてをいただき、すべてを持つ者として主に仕えていきたい。

愛する天のお父様、あなたの生命と祝福を感謝します。あなたにあって生きる喜びを感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。