つまずきを与えないための権利放棄

「しかし、すべての人にこの知識があるわけではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんできたため、偶像に献げられた肉として食べて、その弱い良心が汚されてしまいます。しかし、私たちを神の御前に立たせるのは食物ではありません。食べなくても損にならないし、食べても得になりません。ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように気をつけなさい。」(コリント人への手紙 第一 8:7-9)

パウロがこの文脈で話す知識とは、偶像に献げた肉を食べることについてであり、「世の偶像の神は実際には存在せず、唯一の神以外には神は存在しない」という内容である。(コリント人への手紙 第一 8:4)

この知識があれば、偶像にささげられた肉を食べても食べなくても影響を受けることはない。たとえそうであっても私たちは祈ってきよめて食べ、食べることで汚されることはないことはわかっている。しかしその知識がない人が私たちの食べる行為を見て、良心が汚され、つまずいてしまうのなら、それは罪となる。

私たちが人をつまずかせ、神から遠ざけてしまうのなら、私たちは食べる権利を放棄して、人をつまずかせることのないように食べないことが望ましい。

権利を主張する前に、私たちの行為がどのような影響を与えるのかを考えることが愛である。人々を愛し、自分自身の権利を放棄することで人々が神に近づくことになるなら、喜んで放棄したい。権利以上に主は偉大であるからだ。

愛する天のお父様、あなたは私たちの救いのために苦しみを通り、命をささげてくださいました。感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。