複数の証言を取る
「どんな不正であれ、どんなとがであれ、すべて人の犯す罪は、ただひとりの証人によって定めてはならない。ふたりの証人の証言により、または三人の証人の証言によって、その事を定めなければならない。 もし悪意のある証人が起って、人に対して悪い証言をすることがあれば、 その相争うふたりの者は主の前に行って、その時の祭司と裁判人の前に立たなければならない。」(申命記 19:15-17)
神は「どんな不正であれ、どんなとがであれ、すべて人の犯す罪は、ただひとりの証人によって定めてはならない」と言われた。人の罪を定める時、私たちは複数の証言、供述が鍵となる。
1人の証言だと事実の裏付けが弱い。複数の証言がでと一致しているかどうか、矛盾点がないかどうかを精査し信憑性があるかどうか、確実性が高まるかを判断するためである。
悪意のある証言は偽証であり、現在日本では罰則として3か月以上10年以下の懲役が課せられるが、故意に嘘をついたのかどうかを証明するのは難しく、法律に基づく宣誓がなければ成立しない。
偽証には、故意の嘘の他に、記憶のあいまいさや事実の混同も含まれ、たとえ本人に嘘をついている自覚がなくても、時間の経過とともに記憶が変化したり、希望的観測が入り混じったりして結果的に事実と異なる主張がなされる。
その相争うふたりの者は、主の前に行き、その時の祭司と裁判人の前に立つのだが、実際には偽証を証明することは困難であるため、証拠はかならず複数取ることが大切であり、最終的には主のさばきに委ねることができる。
私たちがすべてのことについて裁判にかけ、執着するなら体力的にも時間的にも経済的にももたない。しかし小さき弱き者たちを疎かにすることもできないため、丁寧な関わりは必要である。大きな働きも小さな働きも大切だからこそ主の助けと知恵が与えられるように祈り求めたい。
愛する天のお父様、人々と関わる上で知恵をもって関わることができるようにお助けください。あなたの助けを感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
