義とされる恵み
「わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。」(ガラテヤ人への手紙 2:21)
義とは、正しいと認められることであり、私たちを罪のない者としてくださることである。
私たちが義とされるのは神の恵みであって、律法ではない。旧約聖書にはモーセを通して与えられた律法が書かれているが、神の恵みと憐れみによって人々は神を信じて義とされた。義とされた者が救われる。
イエスキリストの来られる前は、神がよしとされた者たちに神の救いが与えられた。以前は今日のように福音が世界の隅々にまで福音が届いていたわけではない。イエスキリストが天から地に来られて以来、人々はイエスキリストの十字架上の死による罪のあがないと私たちの信仰を通して救いに至らせてくださった。
私たちが救われるのは、私たちの行いによるのではなく、神の恵みのゆえに信仰によって救われるのである。
恵みだから私たちに注がれる祝福であり、無償に与えられるギフトであり、私たちが何かを達成して勝ち取ったり、獲得するようなものではない。
神の義は信仰によって与えられる神の恵みである。私たちは義と認められたことにより天の御国に行くことができる。
愛する天のお父様、あなたは私たちを愛しておられるので、私たちに義という恵みを与えてくださいました。私のすべての罪を赦し、義と認められてくださったことを感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
