自発のささげ物

「そこで、モーセはベザレルとアホリアブおよびすべて心に知恵ある者、すなわち、その心に主が知恵を授けられた者、またきて、その工事をなそうと心に望むすべての者を召し寄せた。 彼らは聖所の組立ての工事をするために、イスラエルの人々が携えてきたもろもろのささげ物を、モーセから受け取ったが、民はなおも朝ごとに、自発のささげ物を彼のもとに携えてきた。 そこで聖所のもろもろの工事をする賢い人々はみな、おのおのしていた工事をやめて、 モーセに言った「民があまりに多く携えて来るので、主がせよと命じられた組立ての工事には余ります」。 モーセは命令を発し、宿営中にふれさせて言った、「男も女も、もはや聖所のために、ささげ物をするに及ばない」。それで民は携えて来ることをやめた。 材料はすべての工事をするのにじゅうぶんで、かつ余るからである。」(出エジプト記 36:2-7)

イスラエルの民が神の住まわれる場所である聖所を組み立てる工事をした時に、モーセは主がその心に知恵を授けられた者、あるいは工事をなそうと心に望むすべての者を召し寄せた。

彼らは聖所の組立ての工事をするために、イスラエルの人々が携えてきたもろもろのささげ物を、モーセから受け取ったが、民はなおも朝ごとに、自発のささげ物を彼のもとに携えてきた。 

民が自発的に持ち寄ったものが「あまりに多く」あったとはすごいことである。出し惜しみする人間が多い中、自発的に民のため、神のために自分の所有物や技術を使うことは心動かされない限り実現することはない。

モーセは命令を発し、宿営中にふれさせて言った、「男も女も、もはや聖所のために、ささげ物をするに及ばない」。それで民は携えて来ることをやめた。 材料はすべての工事をするのにじゅうぶんで、かつ余るからであった。

私たちも豊かに、余るほどに神に自発的にささげる者でありたい。主は私たちに惜しみなく御子イエスを与えてくださったからだ。

愛する天のお父様、どうか私たちが惜しむのではなく、自発的に豊かに与える者となることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。