代価
「しかし、ほかの害がある時は、命には命、 目には目、歯には歯、手には手、足には足、 焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。」(出エジプト記 21:23-25)
私たちが何かしらの損害を与え、また奪うことがあったば、償わなければならない。過失など不意に誰かしらに損害を与えることがないように私たちは注意することが大切である。
償いの基本は、命には命、 目には目、歯には歯、手には手、足には足、 焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷であり、与えた損害と同等のものと、それに伴う損失分を乗せて補償する。
私たちが犯した罪は、人に対するものは地上で賠償し、神に対するものは、神の定められた方法で償う。
神に対する罪は、私たちが神に従わずに違反した数々である。それは私たちの心の動きを含む。姦淫は行為ではなく私たちの思考で判断される。殺人は行為ではなく殺意で裁かれる。偶像礼拝は礼拝行為ではなく私たちの心を占有するもので裁かれる。
私は毎日罪を犯し、毎日罪を悔い改め、毎日罪の赦しの確信の上に立って歩む。罪から救われているのに、聖霊の助け無しには罪の奴隷に留まり続けてしまう。
キリストは二千年前に私のすべての罪の罰を身代わりに受けるために、自ら十字架について死んでくださった。私の罪の代価を支払えるのは、神の子しかいない。私は無理だし、誰も私の罪のために身代わりとなる人はいない。私が誰か他人のために償おうとしても償い切れない。0.1%も償えない。唯一私の罪のために100%償うことができるのは、神の御子イエスキリストだけである。だからイエスは私の救い主なのである。
代価を払って私たちを救い、神の子どもとしてくださった主に感謝して歩みたい。
愛する天のお父様、あなたの愛を感謝します。あなたは私の罪のために尊い血を払ってくださいました。神の血にまさる血は他にありません。ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
