すべての人に神の霊が注がれる
「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒の働き 2:17)
イエスが死んで復活した後の五旬節の時までは、主の霊は限定的に注がれていたのであろう。しかしその五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていると、天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに他国のいろいろなことばで話し始めた。
さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。
彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。私たちは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントスとアジア、フリュギアとパンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者、また滞在中のローマ人で、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」(使徒の働き 2:1-11)
ガリラヤの人たちがあらゆる国の言葉で話し始めたことに、エルサレムにいた外国の人々は驚いた。もし日本語を勉強した訳ではない外国人が突然聖霊に満たされて日本語を話し始めたら私も驚く。まさにそれと同じことが起きたのである。
これはかつてヨエルが預言したことの成就だった。『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。』
勉強していない外国語を聖霊の力によって話し始めることを異言といい、御霊の賜物の一つである。預言したり、幻を見たり、夢を見たりするのも、聖霊が注がれた時に起きたことであり、主が聖霊を注がれるなら、聖霊の賜物が主によって与えられる。誰でもイエス・キリストを信じるなら御霊の賜物が与えられる。だから私たちは与えられた賜物をみなの益のために、そして主の栄光のために用いていきたい。
愛する天のお父様、私たちに助け主として聖霊を与えてくださり、私たちに慰めと力を与えてくださっていることを感謝します。今日もあなたの栄光を表てください。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。
