喜び祝う
父は彼に言った。『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。』」(ルカの福音書 15:31-32)
放蕩生活をしていた次男は身代を食い潰し、無一文になって父親のもとに帰ってきた。家族から見れば、弟のやったことは死も同然であった。だから親元に戻ってくるのは復活したようなものであり、紛失していたものを発見したようなものであった。
だから父親はしもべたちに言った。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』こうして彼らは祝宴を始めた。(ルカの福音書 15:22-24)
クリスチャンたちが集うコミュニティである教会では人が救われると喜び祝う。神から離れていた人が神のもとに帰ってきたからだ。神によって造られ最新の人が禁断の実を食べたことでエデンの園から追放され、神の元から離れたことがこの拝啓にある。
神のもとに帰って来るとは「罪からの救い」を表す。この話の中で、息子は父に言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』(ルカの福音書 15:21)
私たちが神のもとに来る時も、私たちは「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。」と心から悔い改めるのである。
私たちが悔い改める時、私たちの主は「急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。」と言って祝宴を始めてくださる。
主は決して私たちの過去を咎めない。なぜなら私たちの罪は完全に赦されているからである。むしろ主は私たちの帰還を心から喜び祝ってくださる。
この主に感謝し、喜び祝いながら歩みたい。
愛する天のお父様、あなたの罪の赦しと受け入れを心から感謝します。私たちの家族、友人、知り合いがあなたを受け入れる時、私たちも心から喜び、お祝いします。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
