主に従うとは?

イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょうか。だれでも、わたしとわたしのことばを恥じるなら、人の子もまた、自分と父と聖なる御使いの栄光を帯びてやって来るとき、その人を恥じます。」(ルカの福音書 9:23-26)

主に従うことにおいて決意と覚悟が必要である。なぜなら、先ず第一に自分を捨てることが必要だからである。

自分を捨てるとは、どういうことか?自我を捨て、天命に身を委ねることである。私たちの内に潜む自己中心の思いを捨てることは、私たちの肉の思いを断つことになるため、ある人たちにとっては大手術となる。

私たちは神の御手の中に自分自身を委ねることはできるだろうか?神が主権もって定められることに自分自身を任せることはできるだろうか?自分自身のカレンダーを神に委ね、自らの思いよりも神の導きに任せることであろう。

次に日々自分の十字架を負うことである。これも私たちのトレーニングである。私たちを煩わせる存在と、どのように付き合うのかである。私たちに制限をかけるものをどのように受け止め、苦しみの中でも喜びを見つけ、目を天に向けて歩む訓練である。

私たちが自分のいのちを救おうと思うなら、それを失う。自分自身を優先するなら、上手くいかない。しかし主のためにいのちを失うなら、それを救う。自分を捨て自分の十字架を背負うことは、私たちにとって良いもの、恵みや祝福となって返ってきて、喜びとなってゆく。

たとえ私たちが全世界を手に入れても、自分自身を失い損じたら、何の益にもならない。

自分自身を失い損じることのないように、私たちは自分を捨てて、日々自分の十字架を追うことが大切である。

また、私たちは主と主のことばを恥じるのではなく、主から与えられた使命である福音伝道をしていきたい。具体的には、神の御子イエスは人となって、私たちを罪から救い、永遠のいのちを与え、神の子どもとしてくださるために、この地に来てくださったことを地の果てまで宣べ伝えることである。

愛する天のお父様、今日もあなたについていきます。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。