キリストの来臨と再臨

「キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。」(へブル人への手紙 9:28)

キリストは2回この地上に来られる。1回目は来臨と呼び、もうすでに二千年前に来られた。ヨセフが「思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。 彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。 すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、 「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。」(マタイによる福音書 1:20-23)

イエスと名づけられたキリストは、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、神が私たちと共にいることを表された。キリストがご自身をささげられたのは、十字架の死という一度切りの贖いであった。

そして二度目にイエスが来られるのが再臨だ。それは私たちの罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださる。

イエスが地上におられた二千年前、ご自身の再臨についてこのように言われた。「そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。」

再臨の時は誰も知らない。イエスは言われた。「いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。」(マタイの福音書 24:30-33)

私たちの罪を負い、私たちをあがなうために、ご自分を十字架でささげるために、キリストはもうすでに来てくださった。そして私たちの救いのためにキリストはもう一度来てくださるのだ!

愛する天のお父様、あなたのご計画を感謝します。あなたが2回来てくださることで救いのわざがなされます。あなたの罪のあがないを感謝します。やがてあなたが来られることを楽しみにしています。主イエスキリストの御名によって、アーメン。