無益な者から有益な者へ

「捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。 彼は以前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたしにも、有益な者になった。 彼をあなたのもとに送りかえす。彼はわたしの心である。 そこで、もしわたしをあなたの信仰の友と思ってくれるなら、わたし同様に彼を受けいれてほしい。」(ピレモンヘの手紙 1:10-12, 17)

 

パウロはピレモンという人物に、オネシモを受け入れて欲しいとお願いし、このお願いが新約聖書の書簡の一つとなった。

ピレモンは、パウロと兄弟テモテの愛する同労者でいり、家にある教会の指導的立場にいた人物のようだ。(ピレモンヘの手紙 1:1-2)

そしてオネシモは、かつては奴隷、ピレモンの奴隷だったのであろう。パウロがオネシモのことを次のように述べている。「しかも、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟としてである。」(ピレモンヘの手紙 1:16) 

何かしらの問題があったのか、パウロはオネシモのことを「彼は以前は、あなたにとって無益な者であった」と述べている。

そのオネシモが、「今は、あなたにも、わたしにも、有益な者になった」と述べ、「愛する兄弟」だと言い、「もしわたしをあなたの信仰の友と思ってくれるなら、わたし同様に彼を受けいれてほしい」と言った。

私たちの人生の中にも問題を起こし、私たちと距離が離れた人がいたとして、その人を受け入れ愛することで、その人の人生ばかりか私たちの人生も祝福されることがあるだろう。私たちにとって無益だと思う時期があったとしても、主が私たちのその人を受け入れ、愛を表すことで有益な者と変えられ、有益なことが起こることがあるかもしれない。

もし主が私たちにそのように迫られるのなら、その人を受け入れ、愛を表していきたい。

愛する天のお父様、あなたは憐み深いお方です。私たちも憐みをもって生きていくことができますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。