神の愛
「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙 5:8)
神の愛は、私たちがまだ罪人であったとき、神の御子キリストが私たちのために死なれたことによってご自身の愛を明らかにされた。
善い人のために死ぬことが出来たとしても、罪人のために死のうとする人はあまりいない。他人に対して罪を犯した人のためならまだしも、自分自身に対して罪を犯した人のために私たちは命を投げ出し、犠牲を負うことはかなり大きなチャレンジであろう。
神はご自身に対して不従順な者たちのために死んでくださり、誰でもイエスを神の御子と信じ受け入れる人を救うように定められた。この世界の何パーセントの人が神を心に受け入れたであろうか?人類史上世界で10%が主を心に受け入れたとしたら、残りの90%の人の人たちのための犠牲は無駄になってしまうだろうか?仮に無駄になったとしても、神の私たちに対する愛は惜しみない。私たちが主に従わなかったとしても、主は私たちを愛し続けてくださる。
当然神が願うなら、全人類を救うことは可能だ。神の能力に何の疑いもない。しかし、神は私たちに自由意志を与えられ、自ら神の元に来て心を開き、受け入れる人たちを救うようにされた。神は私たちが心から受け入れることを願っておられる。だから私たちがまだ罪人であった時に、私たちに対して愛を表してくださった。
私たちもキリストの愛を受け入れたのなら、キリストの愛に生き、人々のために生きる者となりたい。
愛する天のお父様、あなたの命をありがとうございます。あなたを信じ、受け入れます。あなたの大きな愛を感謝します。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。
