言うこと&すること

「律法学者たちやパリサイ人たちはモーセの座に着いています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはすべて実行し、守りなさい。しかし、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うだけで実行しないからです。また彼らは、重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしません。彼らがしている行いはすべて人に見せるためです。彼らは聖句を入れる小箱を大きくしたり、衣の房を長くしたりするのです。宴会では上座を、会堂では上席を好み、広場であいさつされること、人々から先生と呼ばれることが好きです。しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただ一人で、あなたがたはみな兄弟だからです。(マタイによる福音書 23:2-8)

パリサイ人はモーセの座に着いていて、モーセの律法を教えていた。だから彼らの言うことは素晴らしい内容なので、イエスは「彼らがあなたがたに言うことはすべて実行し守りなさい。」と言われた。

しかしパリサイ人のすることには真似するなと言われた。なぜなら彼らは言うだけで実行しないからである。

私たちも立派なことはいくらでも言える。しかし行動が伴わないのなら、私たちの言葉に重みを得られず、誰も話を聞かなくなる。引用句も素晴らしいが、その通りに行動できていないと、私たちの言葉だけが独り歩きしてしまう。

パリサイ人がやっていたことは、「重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない」ことだった。自分ではできないことを他人に要求するより、他人ができないことを自分がやる方が良い。「すべて人に見せるため」に良いことをする人は、誰も見ていないところで人を助けることはしない。むしろ何も言わずに行動で示す生き方に人々は感銘しないだろうか?

私たちは皆兄弟姉妹であり、先生と弟子の関係ではない。兄弟は競争し合う関係ではなく、自分に何の利益が無くとも助け合う関係だ。私たちは自分自身のためではなく、神の家のために様々なことをしていることを忘れないようにしたい。

愛する天のお父様、私たちは兄弟姉妹であるのだから、私たちは自分の名を上げる必要はありません。お互いに威勢を張り合うのではなく、お互いに助け合う者となりますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。