自分の弱さを誇る
「ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」(コリント人への第二の手紙 12:9)
パウロは様々な弱さを感じる状況に置かれた。パウロは言った。「彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。 幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。 なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。」(コリント人への第二の手紙 11:23-28)
「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。 このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」(コリント人への第二の手紙 12:7-10)
私たちが弱さを覚えるのは、決して悪いことではない。主の恵み、主の力は私たちの弱いところに完全にあらわれるからである。私たちが自分たちの力を誇り、強いと考えていると、主の恵みに目を向けず、自分自身の力や強さに頼ってしまう。
自分の強さや力強いよりも、神の強さや力に頼るほうがはるかに素晴らしい。パウロもこのことを理解していたのだろう。主の力と強さと恵みの中で生きていきたい。
愛する天のお父様、あなたの恵みを感謝します。どうか私たちなあなたの知恵と力をお与えください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
