自分の目と契約を結ぶ

「私は自分の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留められるだろうか。神が上から分けてくださる取り分は何か。全能者が高い所から下さる相続のものは。」(ヨブ記 31:1-2)

ヨブは自分の正しさについて確信を持っていた。主なる神の前に正しいことを行ってきたという自負である。神から見ても正しいとされる確信を持てる人はなかなかこの世の中に存在しない。多くの人は自分のあらゆる罪が赦されたことに対する確信と感謝で生きている。

ヨブから学ぶことのできる正しい生き方の秘訣の一つは、自分の目と契約を結ぶということであろう。多くの人が自分の目で正しくあること、また正しいことを行うことができないことで悩む。インターネット広告にはボディラインがはっきりした女性の画像が上がってくる。そしてメディアのあらゆる媒体には男性の情欲を駆り立てるものが散在する。男性にとって女性に対する性的な罪から守られるためには、ヨブのように自分の目と契約を結ぶくらいのはっきりとした防止策を立てることしかない。それに加えて、最終的には聖霊の助けが必要である。聖霊に満たされ、聖霊の力によってポルノや性的な罪への誘惑から守られる。

アメリカのジェームス・ドブソン博士というキリスト教福音派の人が「男性はセックスを得るために女性に愛を与え、女性は愛を得るために男性にセックスを与える」と言った。男性も女性も、それぞれやり方は違うがセックスと愛を利用して自分の欲を満たす傾向にあるようだ。セックスが許されているのは夫婦の間だけである。むしろ神は夫婦にセックスを楽しむように願っておられる。しかし多くの人はセックスと愛を結婚で満たすのではなく、その欲望を抑えられずに結婚前あるいは結婚外に求めてしまう。

もし私たちが配偶者以外の異性と性的関係を結ばないために、自分の目と契約を結ぶのなら、セックスと愛を夫婦間にとどめ、罪から守られ、神の前に正しい歩みをする助けとなる。

神の前に正しく歩むとは、罪を犯さないこともさながら、罪を犯したことを認め、悔い改めることにある。私たちが自分たちの罪のために十字架にかかって死んでくださったイエス・キリストの救いを受け入れるなら、私たちは信仰によって正しいと認められる。それを助けてくださるのが聖霊だ。

日々聖書の言葉を読み、聖霊に満たされて歩みたい。

愛する天のお父様、今日もあなたの言葉をありがとうございます。今日も聖霊に満たされて歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。