ユダヤ人の王
イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。(マルコの福音書 15:26)
イエスの罪状は殺人でも窃盗でも詐欺でもなく、「ユダヤ人の王」であった。イエスが誰かに迷惑をかけたというとそういうわけではない。誰に対しても悪事を働いたわけではない。罪を知らない方が罪を犯すことはない。
イエスを訴えたのはユダヤ人の祭司長、長老、律法学者たちであり、彼らは「多くのことでイエスを訴えた。」(マルコの福音書 15:3)
そこで、ピラトが、「おまえたちがユダヤ人の王と呼ぶあの人を、私にどうしてほしいのか。」(15:12)と聞くと、彼らは叫んだ。「十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」祭司長たちにはイエスが何も悪いことをしていないことを承知だったが、イエスのことを妬み、イエスが目障りだったので、群衆を扇動して「十字架につけろ!」と激しく叫び続けた。
それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。(15:13-15)
罪を犯していない人を十字架につけるには、何かしらの理由が必要である。ピラトは、何も悪いことをしていないイエスがユダヤ人の王であることで訴えられたと判断し、彼らを侮辱して罪状書きに「ユダヤ人の王」と書いた。
実際イエスはユダヤ人の王だったのか?すべての人々の王であるイエスは、ユダヤ人の王でもある。ピラト個人あるいはローマにとっての王ではないという政治的な意図もあってイエスの罪状書きを「ユダヤ人の王」としたのかもしれない。
イエスが誕生した時、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」(マタイの福音書 2:1-2) 。またパウロは「キリストの現れを、定められた時にもたらしてくださる、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、」(テモテへの手紙 第一 6:15)と言っている。
イエスはユダヤ人の王であり、すべての人々の王、真の王である。王なるイエスを賛美し、礼拝していきたい。
愛する天のお父様、あなたをほめたたえます。あなたは主の主、王の王です。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
