口先ではなく心で
「イエスは言われた、「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である、『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。 あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。」(マルコによる福音書 7:6-8)
私たちは口先では何とでも言える。人々に印象づけ、操作することも可能だ。神の前では神を敬うことも言える。しかし神は私たちの心を見られる方であるから、神の心に近くあり、神の御心を行うことを求めておられる。
私たちは神の教えを教え学ぶべきであり、人間の教えを教え学ぶことが大切である。神の教えは聖書に書かれている。だから私たちは聖書を毎日読み、神の言葉に耳を貸すことが大切だ。世の中には神の教えとは違う教えで溢れている。私たちが何を見て、何を聞いているのか?
娯楽も時には必要である。しかし私たちの生きる道標となるもの、価値観、神の真理を知ることは、生きる上で最も大切なものである。
いのちの言葉である、神の言葉を知るために毎日のデボーションを習慣としたい。
愛する天のお父様、あなたの言葉は私の彷徨う心に明確な指針を与えてくださいます。あなたを信じます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
