死者の復活という望み
「そして今、神が私たちの父祖たちに与えられた約束に望みを抱いているために、私はここに立って、さばかれているのです。私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでいます。王よ。私はこの望みを抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです。神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととお考えになるのでしょうか。」(使徒の働き 26:6-8)
パウロは「神が私たちの父祖たちに与えられた約束」があり、「私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んで」いると言った。その約束とは神が死者を甦らせてくださるという約束である。
この約束を享受できる当事者であり、過去より待望してきたユダヤ人たち自身がイエスキリストを通して得られるという福音を受け入れられず、むしろこの福音を宣べ伝えたパウロがユダヤ人コミュニティからの強い反発により投獄され裁判にかけられた。
さて私たちはこの「死者の復活という望み」をどのように受け取るだろうか?このことを信じることで私たちが死んでもよみがえることができるのだが、そのことで私たち自身が困ることは何もなく、むしろありがたい話である。このありがたい話を聖書は伝えてくれている。
この望みを与えて下さった主に感謝して歩みたい。
愛する天のお父様、あなたが私たちの希望です。あなたが私たちの喜びです。あなたが私たちを死から復活させ、永遠のいのちを与えてくださることを心から感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
