復活の希望
「また私は、正しい者も正しくない者も復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神に対して抱いています。」(使徒の働き 24:15)
正しい者も正しくない者も復活するとは、どういうことか?
先ず、キリストを心を受け入れキリストの教えに従って歩んでいる人たちのことをクリスチャンと呼ぶが、クリスチャン、つまりキリストに属している人はキリストの次によみがえる。「しかし、それぞれに順序があります。まず初穂であるキリスト、次にその来臨のときにキリストに属している人たちです。」(コリント人への手紙 第一 15:20-23)
キリストに属している人には、「国籍は天にあり、そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを待ち望み、キリストが万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださる」(ピリピ人への手紙 3:20-21)という希望が与えられている。
神の前に正しいと認められた者たちに与えられた復活の希望は実に素晴らしい。神の前に正しいと認められることを「義とされた」というが、イエスキリストを信じる信仰によって、義とされ、正しい者と認められる。
神の前に正しくあるということは、律法を守ることでは得られないので、神の恵みによる救いを信じることで得られる。つまりイエスをキリストと信じた人によって、正しいとされる。
天に国籍を持ち、主イエス・キリストが救い主として来られるのを待ち望み、キリストが万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださることに感謝して歩みたい。
愛する天のお父様、私たちはあなたに希望を持ち、やがて御子イエスキリストの復活の後、私も復活できることを感謝します。あなたに信頼します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
