語らないわけにはいかない

「わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。」(使徒行伝 4:20)

ペテロとヨハネは大胆にイエスキリストの福音を伝えた。彼らは決して流暢な話しぶりで話したわけではなく、むしろ無学な、ただの人たちであった。

人々はペテロとヨハネが「イエスと共にいた者」であることを認め、 さらに、彼らにいやされた者がそのそばに立っているのを見ては、まったく返す言葉がなかった。 イエスの働きを否定しようがなかったからである。ペテロとヨハネによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムの住民全体に知れわたっていた。

この否定しようのない、隠しようのない事実を、役人、長老、律法学者など指導者たちはこれ以上、民衆の間に広まらないように躍起になっていた。だから彼らはペテロとヨハネに.今後はこの名によって、いっさいだれにも語ってはいけないと言いわたした。」(使徒行伝 4:13-18)

しかし事実は事実であり、否定のしようがない、隠しようもないものであった。だから彼らは言った。「わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」(使徒行伝 4:20)と。

私たちがイエスキリストの福音を語る時に、自分自身が体験し、心に刻まれ、確信となったものは、まさに私たちの情熱と使命となる。

言葉を通して、あるいは踊りや賛美を通して、私たちは主の良いわざを伝えるのである。ある人は芸術やスポーツ、ある人は笑顔や忍耐などの立ち振る舞いを通して伝える。ある人は忠実に仕える姿、一生懸命主のためにしている姿を通して主の素晴らしさを伝える。

今日主に与えられたことを忠実に行いたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちに、主から言われたことに従順になり、ただ忠実であることを願っておられます。私たちの一日をお守りください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。