洗礼
ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」(使徒の働き 8:35-36)
あるとき、主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。ここでは、何のために南に行くのかの指示がない。しかもそこは荒野であったため、人気のない、食物も手に入るかどうかわからないような場所に、特に何の目的も知らされず、主の御使いの言葉を信じて、ピリポは立って出ていったのである。
私たちは先行きの不明瞭な状況下で主を信頼して歩むように促されることがある。華やかな都に向かうのではなく、逆に華やかな都を離れて、人気のない寂しい荒野に行きなさいと言われると暗澹たる気持ちにもなる。しかし神がそのように促すのなら、神の用意したものが確かに待っているのである。
ピリポが立って出ていくと、「見よ。そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。」主はピリポにこのエチオピア人と会うために荒野に遣わされたのであった。
御霊(主の霊)がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われたのでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが分かりますか」と尋ねた。すると、その人は「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして馬車に乗って一緒に座り説明してくれるようにピリポに頼んだ。
ピリポが説明を終えると、宦官はピリポに向かって言った。「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
そして、馬車を止めるように命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰って行った。それからピリポはアゾトに現れた。そして、すべての町を通って福音を宣べ伝え、カイサリアに行った。(使徒の働き 8:34-40)
イエスの福音を聞いてイエスが私たちのために十字架で命をささげ、私たちの罪を赦し、救ってくださったことを信じる者は、時を置かずして洗礼を受けることができる。洗礼は私たちの罪の悔い改めを象徴し、周りの人々にキリストを信じた者となったことを証することができる。
愛する天のお父様、あなたの救いを感謝します。あなたを信じ、あなたに従います。主イエスキリストの御名によって、アーメン。