祈り方
そこでイエスは彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。私たちを試みにあわせないでください。』」(ルカの福音書 11:2-4)
私たちはどのように祈ったら良いか?主は祈り方を弟子たちに教えられた。
先ず神に向かって「父よ」と祈るように言われた。神のことを「父よ」と呼びかけるように言われた。私たちの天におられる神は、私たちの父なのである。父とは私たちに必要なものを備え、私たちをあらゆるものから守り、私たちに教え、私たちを訓練してくれる存在である。何よりも父とは私たちに近い存在である。
次に「御名が聖なるものとされますように。」と祈るように言われた。神の名とは、神の権威を指すものでもあるが、神が神としてほめたたえられ、神の素晴らしさが表されるようにと祈っている。
「御国が来ますように。」御国とは神の支配を指す。あらゆる人々が永遠なる神の支配のもとに来て、救いといのちを得るようにと祈るのである。
また「私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。」とは私たちの衣食住だけではなく、霊的な糧である神の言葉をいただくことである。私たちは毎日神の言葉をいただいているだろうか?
そして「私たちの罪をお赦しください」と祈る。罪はイエスの十字架によって私たちが信仰を持った時に、すでに贖われているが、私たち自身が罪の赦しを意識し、また霊的に健全であるために罪の赦しを祈るのである。
それから「私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します」と祈るのである。私たちが赦しを実践し、愛に生きるためにはこの祈りは欠かせない。
最後に「私たちを試みにあわせないでください。」と祈る。私たちが試練を避けることが出来れば良いが、信仰の歩みをしていると誘惑やテストにあって試される。試練に打ち勝つことが出来るように神に頼るのである。
私たちは日々様々な戦いの中に置かれるのだから祈りは欠かすことができない。
愛する天のお父様、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。私たちを試みにあわせないでください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。