一人のように集まる

「こうしてイスラエルの人々はその町々に住んでいたが、七月になって、民はひとりのようにエルサレムに集まった。」(エズラ記 3:1)

世の中には従来からの伝統・習慣・制度・考え方を維持するのを好む保守派と、社会的もしくは政治的に新しいものや変化を好む革新派がいる。考え方の相違があることは避けられないが、言葉で相手を攻撃し始めると、分断が生まれ、場合によってはテロ活動などの暴力に至る。世の中には多種多様な人々がいるので多様性を重視する傾向にあるが、それが神との関係を遠ざけてしまうのなら注意しなければならない。

クリスチャンの価値観は、聖書の教えに基づく神が定めたものである。心から神を愛し従うことが重要だ。神は罪人である私たちを回復へと導かれる。私たちは行いにおいて人々をさばいて排除するのではなく、神との回復が修復されるように導くことが大切だ。

当時もイスラエルの民の中にも様々な考えを持つ人々がいたであろう。民は町々にいたり、自分と相性の合う人たちと一緒にいたのではなく、一人のように集まった。その集まった場所がエルサレムである。現在、神の平和という名のエルサレムにはイスラム教とユダヤ教とキリスト教が町を分割して生活しているが、かつて人々が一人のように集まったとは素晴らしい光景である。

やがて天国にて私たち、主の民が一人のように集まり、主を礼拝する時が来る。この地上においても、心を一つにして主を礼拝したい。

愛する天のお父様、あなたを礼拝します。あなたにあってすべての人たちは一つになることができます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。