汚された聖なる名を惜しむ
「わたしは、イスラエルの家がその行った諸国の民の間で汚したわたしの聖なる名を惜しんだ。それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。イスラエルの家よ。わたしが事を行うのは、あなたがたのためではなく、あなたがたが行った諸国の民の間であなたがたが汚した、わたしの聖なる名のためである。 わたしは、諸国の民の間で汚され、あなたがたが彼らの間で汚した、わたしの偉大な名の聖なることを示す。わたしが彼らの目の前であなたがたのうちにわたしの聖なることを示すとき、諸国の民は、わたしが主であることを知ろう。—神である主の御告げ—」(エゼキエル36章21−23節)
イスラエルの家は、主を知らない諸国の民の間で主の聖なる名を汚した。主なる神はご自身の聖なる名が汚され、その名を惜しんだ。だから主はご自身の聖なる名のために、主の偉大な名の聖なることを示すと言われた。人々が主の名が聖なることを知る時、主こそ主であることを知ると言われた。
では、主は具体的にご自身の名が聖なることを、どのように示されると言われたのだろうか?
「24 わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。25 わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」
主が新しい心と新しい霊を授けられるときに、人々は変えられる。
「27 わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。28 あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。29 わたしはあなたがたをすべての汚れから救い、穀物を呼び寄せてそれをふやし、ききんをあなたがたに送らない。30 わたしは木の実と畑の産物をふやす。それであなたがたは、諸国の民の間で二度とききんのためにそしりを受けることはない。31 あなたがたは、自分たちの悪い行いと、良くなかったわざとを思い出し、自分たちの不義と忌みきらうべきわざをいとうようになる。」(36:27-31)
主が与えられた地にイスラエルの民が住み、穀物と木の実と畑の産物が増えることで、民は悪い行いから離れ、良くなかったわざとを思い出し、自分たちの不義と忌みきらうべきわざをいとうようになると言う。
主の聖なる名を汚すのではなく、主の名が聖なることを表す生き方をしていきたい。
愛する天のお父様、あなたの御名をほめたたえます。あなたの名が聖であることを表すことができますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。