尽きない主のあわれみ
「私の苦しみとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。
私はこれを心に思い返す。それゆえ、私は言う。「私は待ち望む。主の恵みを。」実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は偉大です。主こそ、私への割り当てです」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。」 (哀歌 3:19-24)
私たちは苦しみを通されることがある。苦しみとさすらいの思い出は苦よもぎと苦味だけというように。エレミヤは辛い日々を思い出しては心が沈んだ。
辛い日々、苦しい日々を過ごすと、私たちは心に思い返し、私たちは主を待ち望み、主の恵みを慕い求めるようになる。
主を待ち望み、主の恵みを思ったとき、エレミヤは「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は偉大です。主こそ、私への割り当てです」と私のたましいは言うと述べた。
私たちに対する主のあわれみは尽きない。そして主のあわれみは朝ごとに新しい。主の真実は実に偉大であり、主こそ私への割り当て、私への相続、私への報いなのである。この主を待ち望み、主の働きを行っていきたい。
愛する天のお父様、あなたのあわれみは尽きません。今朝もあなたのあわれみが私に注がれていることを感謝します。あなたに従って歩みます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。