イスラエルの家のために見守る者

「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家のために見守る者とした。あなたはわたしの口から言葉を聞くたびに、わたしに代って彼らを戒めなさい。 わたしが悪人に『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、あなたは彼の命を救うために彼を戒めず、また悪人を戒めて、その悪い道から離れるように語らないなら、その悪人は自分の悪のために死ぬ。しかしその血をわたしはあなたの手から求める。」(エゼキエル書 3:17-18)

エゼキエルは、主によってイスラエルの家のために見守る者となった。どのようにイスラエルの家を見守ったのかというと、エゼキエルは主の口から言葉を聞くたびに、主に代ってイスラエルの民を戒めることだった。

戒めるとは、イスラエルの間違いを指摘し、心を悔い改めるように教え諭すことだ。

なぜなら、悪を放置し、悔い改めないと深刻な結果を招くことになるからである。主は言われた。「わたしが悪人に『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、あなたは彼の命を救うために彼を戒めず、また悪人を戒めて、その悪い道から離れるように語らないなら、その悪人は自分の悪のために死ぬ。しかしその血をわたしはあなたの手から求める。」

私たちが悪を行った者を戒めず、その悪い道から離れるように語らないなら、その悪人を救うことはできず、悪人は自分の悪のために死ぬ。そして、その血の責任は命令を遂行しなかったエゼキエルに求められる。まさに最悪の事態である。

もし主が私たちに誰かを戒めるように語られたのなら、その人を救うために戒めなければならない。放置するならその人を滅ぼすことになり、私たちも従わなかったことで戒められ、血の責任を問われる可能性も出てくる。

私たちが罪から離れ、神の憐れみを受け、恵みに満ちた人生を歩むことができるように愛をもって伝えたい。

愛する天のお父様、私の罪を赦し、あがない、永遠のいのちをさずけてくださり、ありがとうございます。あなたを信じ、仕えます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。