わたしは門である

「わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。」(ヨハネによる福音書 10:9-11)

イエスは「わたしは門である」と言われた。イエスを通して入る者は救われ、また出入りし、牧草にありつくと言う。イエスキリストは私たちの救い主である。私たちはイエス・キリストを通して神の国に入ることができ、またイエス・キリストを通して養われることができる。つまりイエス・キリストは私たちに御国に関わる許可を与えてくださり、私たちを成長させてくださるのだ。

イエスは、また自分自身のことを良い羊飼いだとも言った。自分以外に盗人の存在についても触れている。この盗人とは神に敵対する者であり、私たちを盗み、殺し、滅ぼすためにやってくる存在である。これは悪魔でありサタンである。

私たちの敵である悪魔は盗み、殺し、滅ぼすために来るが、良い羊飼いであるイエスは私たちに命を得させ、しかも豊かに得させてくださる。どうやって私たちに豊かな命を得させてくださるのか?それは羊のために命を捨てることである。

良い羊飼いであるイエス様は私たちの罪の滅びから救うために身代わりとして十字架の上にかかってくださった。その行為には愛が詰まっている。そしてこの地上にいる間に、自らを捨てて、神であるのに私たち人間に仕えるしもべの姿を取り、私たちを導いてくださった。

私たちは豊かな命を与えられたのである。だから私たちも、自分を捨て、日々十字架を背負い、そしてイエスについて歩むことができる。私たちを十分に養ってくださるのだから、自分たちが貧しく、ひもじい思いをすることはない。

私たちのために門となって救いを与え、神の子どもとしてくださり、私たちにとって良い羊飼いとして導いてくださる主に従っていきたい。

愛する天のお父様、あなたは御子イエスを私たちの救いの門として与えてくださり、また命を捨てて私たちの罪の代価を払って、私たちに豊かに命を与えてくださいました。心から感謝します。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。