わたしの父の家

「さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」(ヨハネの福音書 2:13-16)

イエスはエルサレムに建てられた宮、神殿について「わたしの父の家」だと言った。神殿はイスラエルの人々が礼拝するために来る場所である。当時のイスラエルの人々は、古来から続いていた習慣である、動物の生贄をささげていたこともあり、神殿の外庭には商人たちが牛や羊や鳩を売っていた。この習慣はイスラエルの社会では認められる行為であったが、この出来事でイエスが伝えようとしていたことの一つは、神を礼拝するために動物のいけにえはもはや必要ではなく、私たちの心を主に向けることが礼拝の中心的な考え方だということを伝えたかったのかもしれない。

第二に、イエスは神殿という神を礼拝するための聖なる場所で商人たちが利益を生むことは神が喜ばれないことであると伝えたかったのかもしれない。人間の生業として、あるいは捧げものの備品購入のために致し方ないことであっても、神殿は純粋に神を礼拝するだけの場所であり、人間的なものが介入する場所ではないと、聖別されている場所だということを伝えたかったのだろう。

第三に、イエスは神殿を「わたしの父の家」だと呼んでいる。イエスはイスラエルの神を礼拝する家を、わたしの父の家だと表現した。これは、イエスが神のことを、遠い手に届かないような存在ではなく、とても身近な父であり、さらにはイエスが神の御子であることを伝えたかったのだろう。

私たちはイエスの言動からイエスの気持ちを汲み取り、イエスの心を知ろうとする。今日も主が私たちに教えてくださることに耳を傾け、自分自身が主に愛され、救われていることを喜ぶ一日にしたい。

愛する天のお父様、あなたを礼拝します。あなたが私の神であることを心から感謝します。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。