喜びの油と賛美の外套

「神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。シオンの嘆き悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために。彼らは、義の樫の木、栄光を現す、主の植木と呼ばれる。 」(イザヤ書 61:1-3)

主イエス・キリストが宣教を始められた時に、このイザヤ書の箇所を引用して、自分の働きの開始を宣言された。イエスの上に主の霊があるとは、主なる神の霊がイエスの上に臨み、神の働きをしてくださるということだろう。今日私たちも聖霊の力によって主の働きをすることができるようになった。

イエスの働きとは、貧しい人に良い知らせを伝えることだ。貧しい人とは、必ずしも経済的な貧しさの中にいる人たちではなく、心の貧しさを持つ人たちのことである。心の貧しさとは、謙って神を必要としている人たちだ。救いに関する知らせは、福音を必要としているすべての人にとって良い知らせ、福音となる。

また、イエスは、心の傷ついた者を癒やしてくださる。心の傷は幼少期に受けた否定的な言葉や身体的・精神的に虐待、不安な気持ちにさせられる出来事などである。多くの人々、いやすべての人々が何かしらの心の傷を負い、その傷が事あるごとに頭をもたげ、苦しむ。私たちの心の傷とまっすぐ向き合い、私たちに愛と恵みで満たすことで快方へと向かうことを助けてくださるお方が、私たちの主イエス・キリストである。

主なる神、父なる神は、御子イエスに油を注ぎ、ガリラヤ、サマリヤ、ユダヤ、また異邦人の地に遣わされた。イエスは主の霊に満たされて福音を宣べ伝えた。今日私たちも主の霊によって世界中の人々に福音を届ける使命をさずかっている。自分には人々を救うことはできないが、私たちの内におられる主が人々の心を癒し、罪からの解放と、囚われているものからの釈放を聞いて平安を得ることができる。

主は恵み深いお方である。しかし主の従わず、主を拒む者には救いの約束はない。主は主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げられた。これにより私たちの嘆き悲しむ心は慰められる。イエスは、シオン(エルサレム、イスラエル)の嘆き悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために福音を宣べ伝えられた。主は救われる者たちのことを、義の樫の木、栄光を現す、主の植木と呼ばれる。

私たちは主の恵みのゆえに救われた。この良き知らせを告げてくださった主に感謝したい。

愛する天のお父様、あなたの愛とめぐみを感謝します。わたしの心に喜びの油を注ぎ、賛美の外套を着せ、あなたの救いを喜ぶ者としてください。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。