信仰は行いによって完成される
「あなたが見ているとおり、信仰がその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されました。」(ヤコブの手紙 2:22)
私たちが信仰を持つことは、人生観における大きなステップの一つとなる。
神がいるということ、イエスが神の御子であること、イエスが救い主として、私たちの罪のあがないのために十字架にかかり死んで葬られ、三日目に死からよみがえり、今も生きておられ、このことを信じるなら罪赦され、永遠のいのちを持つこと。これらのことを信じるのがクリスチャンの信仰であり、私の信仰でもある。
ヤコブは言った。「あなたは、神は唯一だと信じています。立派なことです。ですが、悪霊どもも信じて、身震いしています。」(ヤコブの手紙 2:19) 聖書の神は唯一の神であり、悪霊ども信じて身震いしているという。
ただ信仰は行いとともに働くという点が大切だ。ヤコブは言った。「兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。」(ヤコブの手紙 2:15-16)
神を信じて、一歩踏み出すことで信仰は完成に向かう。結果はわからないからこそ、信じて一歩踏み出すのである。
ヤコブは続けた。「私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義と認められたではありませんか。あなたが見ているとおり、信仰がその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されました。「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことが分かるでしょう。」(ヤコブの手紙 2:21-24)
私たちが信仰を持っているというなら、私たちの信仰が行動にあらわしていきたい。
愛する天のお父様、あなたを信じる信仰を与えてくださり、ありがとうございます。私が信じたことを行動をもって表して行くことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。