流血

「こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。」(ヘブル人への手紙 9:22)

私たちの罪は、ずっと残ったり、罰せられるわけではない。私たちの罪は血を流すことで赦される。自分の血を流すのか、それとも他人の犠牲によって赦されるのかである。

イエスは二千年前にエルサレムのカルバリの丘で、自分は無罪であったのにも関わらず、他者の罪の赦しのために身代わりとなって死んだ。

他者とは、人類すべて、つまり私たちである。イエスは私たちの罪のために十字架にかかって死に、私たちはイエスが流された血によって罪を赦され、きよめられた。

私たちは神の前に無罪となり、きよい者とされた。イエスは神の御子であり、私たちの罪を十字架の血潮によってあがない、私たちを救ってくださった。

イエスは死んで、葬られたが、三日目に死人の中からよみがえられた。神であるから復活した。死に打ち勝ったのである。イエスは死んで終わりではなかった。イエスは復活から四十日して天に上げられ、今は神の右の座におられる。そして私たちを迎えに来て、天の御国に連れて行ってくださる。

罪を赦され、きよめられた者だけが天の御国に入ることができる。それはイエスキリストを救い主として信じ、心に受け入れた者に与えられた神の恵みである。

ぜひイエスキリストを救い主して心に受け入れていただきたい。

愛する天のお父様、あなたが私の罪のために十字架にかかり、死んでよみがえり、私たちの罪を赦し、神の子どもとしてくださったことを感謝します。あなたに従って歩みます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。