健全な教え

「監督は神の家を管理する者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、乱暴でなく、不正な利を求めず、むしろ、人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。(テトスへの手紙 1:7-9 )

健全な教えをするために必要なことは、みことばをしっかりと守ることだ。教える立場にいる監督は神の家を管理する者している。

つまり教会などのクリスチャンコミュニティの中で非難されるところのない者であることが大切だ。社会の中で良い評判を得ていることが大切かもしれない。

具体的には、わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、乱暴でなく、不正な利を求めず、むしろ、人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があることだ。これらは監督者である人たちに求められている。

信頼すべきみことばをしっかりと守ることで、私たちは健全な教えをすることができ、反対する人たちを戒めたりすることができる。

神の家である教会は、反対者や疑問を持つ人たちに対して健全な教えをもって弁証することに必要を迫られる場合がある。だから健全な教えを伝えられるように準備しておくことが必要だ。

愛する天のお父様、健全な教えを身につけ、健全な教えに生きることができますように。健全な教えは名実ともに大切です。あなたの救いが一人でも多くの人に届きますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。