主の御心を求める
ヨシャファテは、「ここには、われわれがみこころを求めることのできる主の預言者が、ほかにいないのですか」と言った。イスラエルの王はヨシャファテに答えた。「ほかにもう一人、主に伺うことのできる者がいます。しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです。イムラの子ミカヤです。」ヨシャファテは言った。「王よ、そういうふうには言わないでください。」(列王記 第一 22:7-8)
二つに分断されたイスラエルの国は、北イスラエル王国と南ユダ王国に分かれたが、この二つの国は兄弟のようなもので、お互いに争い内戦する訳ではなく、むしろアラムなどの外国勢力に苦しめられてきた。
北イスラエル王国の王はアハブ。アハブは外国の王女イゼベルと結婚し、バアルという偶像信仰をイスラエルに広めた。神殿には神殿娼婦があふれ、幼児が生贄として捧げられるという恐ろしい事態が、イスラエルには起った。神は預言者エリヤをアハブの元に遣わしたが、アハブは主の言葉を聞こうとしない。
一方南ユダ王国の王はヨシャファテで、“主はヨシャファテとともにおられ”(2歴代誌17:3)、ヨシャファテは主に従って歩んだ。
アラムとイスラエルの間に戦いがないまま、三年が過ぎた。しかし、三年目になって、ユダの王ヨシャファテがイスラエルの王のところに下って来ると、イスラエルの王は自分の家来たちに言った。「おまえたちは、ラモテ・ギルアデがわれわれのものであることをよく知っているではないか。それなのに、われわれはためらっていて、それをアラムの王の手から奪い返していない。」 (列王記 第一 22:1-3)
ラモテ・ギルアデはガド族の町で、逃れの町であり、アラム国境の町があり、アラムに奪われたことで焦りを感じていたのかもしれない。
アハブはヨシャファテに言った。「私とともにラモテ・ギルアデに戦いに行ってくれませんか。」ヨシャファテはイスラエルの王に言った。「私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。」ヨシャファテはイスラエルの王に言った。「まず、主のことばを伺ってください。」(列王記 第一 22:4-5)
一つの民族であることは確かだったが、自らの欲望のために南ユダ王国も巻き込もうとしたのだろうか?イスラエルの王は約四百人の預言者を集めて、彼らに尋ねた。「私はラモテ・ギルアデに戦いに行くべきか。それとも、やめるべきか。」彼らは答えた。「あなたは攻め上ってください。主は王様の手にこれを渡されます。」(列王記 第一 22:6)
この約400人の預言者たちは自分たちの意見をアハブに進言したのであって、主の言葉を伝えたわけではなかった。それを悟ってか、ヨシャファテは、「ここには、われわれがみこころを求めることのできる主の預言者が、ほかにいないのですか」と言った。(列王記 第一 22:7)
イスラエルの王はヨシャファテに答えた。「ほかにもう一人、主に伺うことのできる者がいます。しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです。イムラの子ミカヤです。」ヨシャファテは言った。「王よ、そういうふうには言わないでください。」(列王記 第一 22:8) ヨシャファテは主の声を聞いて動こうとしてため、アハブの言いなりにはならなかった。
私たちの周りには様々な声がある。私たちが同胞だから、友人だから、関係者だからといって彼らの言いなりになって行動すると大変なことになる。私たちは主の声を聞いて行動することが大切だ。
愛する天のお父様、あなたの言葉によって、人生の歩みを 確かなものにしていくことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。