主に養われる
「主の言葉がエリヤに臨んだ、 「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。 そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。」(列王紀上 17:2-4)
ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。」(列王紀上 17:1)
このエリヤが語った預言の言葉は雨が降らないという否定的な内容であったが、神はエリヤに対する守りを与えられた。
それは、エリヤがケリテ川のほとりに行くこと、そこで身を隠すこと、ケリテ川の水を飲むこと、からすによって養われることだった。
雨が降らないと、作物が実らず、食べ物や水に困る。しかし、エリヤには食べ物も水も与えられると主は言われた。
「エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。 すると、からすが朝ごとに彼の所にパンと肉を運び、また夕ごとにパンと肉を運んできた。そして彼はその川の水を飲んだ。」(列王紀上 17:5-6)
エリヤはカラスによるパンと肉によって養われ、ケリテ川の水があることで食料に困らなかった。かつての時代は食糧と水を確保することは至難の業であり、争奪戦となり、場合によっては文字通り戦争に発展した。
主なる神は私たちのことを養ってくださるお方だ。
主イエスは言われた。「ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」(マタイの福音書 6:31-34)
私たちの主は私たちを養ってくださる。
愛する天のお父様、あなたの養いを感謝します。あなたは私たちを必要をご存知です。どうか私たちがあなたのあなたの支配とあなたの命じたことを守って歩むことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。