たとえ貧しくなっても
「正しく歩む貧しい者は、曲った道を歩む富める者にまさる。」(箴言 28:6)
正しく歩む貧しい者たちの中には、正義に生きるため組織の不正を指摘して煙たがられ、理不尽な目に遭い、出世できず、不安定な人生を強いられた人たちもいる。たとえ貧しくなっても正義を貫くからである。
逆に、曲った道を歩む富める者は、護身のために不正に手を染め、力ある者たちに諂い、世渡りに長けて、役職に就いたり、金銭的報酬を手にするような者たちである。「憎まれっ子世に憚る」という言葉にあるような生き方だ。
では、正しく生きて富むことは可能だろうか?可能である。正しく生きる中で一時的に、あるいは表面的に「貧乏くじ」を引いた状態になるかもしれないが、長期的に見ると、神の祝福に満ち溢れる。目先の利益にとらわれず、神を信頼して歩む生き方をが最終的に良い生き方ではなかろうか?
主の前に正しく生きたい。
愛する天のお父様、あなたの前に正しく生きることができますように。たとえ一時的に貧しくなろうとも、あなたを信頼して歩み続けることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。