争い
「あなたが目に見たことを、軽々しく法廷に出してはならない。あとになり、あなたが隣り人にはずかしめられるとき、あなたはどうしようとするのか。 隣り人と争うことがあるならば、ただその人と争え、他人の秘密をもらしてはならない。」(箴言 25:8-9)
争いは必ずしも感情的な喧嘩ではなく、誤ちがあれば正し、守るべきものを守るために調整し、確認するための必要な過程だったりする。
もし私たちが軽はずみな訴え、例えば思い込みや勘違いで起訴し、多大な時間とお金をかけても結果が伴わないような状況になると、好ましがらぬ結果を招くことになり、恥ずかしい思いをするだろう。
特にSNS社会では、あらゆる情報が瞬く間に拡散するため、良くも悪くも取り返しがつかない。私たちは他人を誹謗中傷したり、個人情報漏洩させるなら自他共に苦しむ羽目になる。
争いは感情なものと結びつき、慎重さを失いやすい。喧嘩両成敗と言われるゆえ、私たちの体力を消耗させ、だれのためにもならない不必要な争いは避けたい。協議して解決するのが最善かもしれない。もし私たちが争いに関わるなら、一旦冷静になって物事を考えたい。
愛する天のお父様、お互いに愛し合い、また赦し合うことが出来ますように。私たちの心に平和の心をお与えください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。